どこまで発言の正確性を求めるのか

宮崎勤の幼女殺害事件でのマスコミ報道で、コミケを名指しし「ここに10万人の宮崎勤がいる」とレポートしたメディアがあった、という話について、各者を取材し、それは都市伝説だろうと結論づけた記事。

「10万人の宮崎勤」はあったのか?(dragoner) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/dragoner/20170929-00075748/

今までも都市伝説に違いないとするブログ記事は何年も前から繰り返し発表されていたが、今回は人への取材が充実してるところが新しい。
 
で、勘違いしてはいけないのが「10万人の宮崎勤」の発言なり記事なりがなかったとしても、それに類似する報道は当時に複数出されていたということ。それらの記事によって「ロリコンオタク=犯罪者予備軍」というイメージが、その時期に流れていたということ。https://togetter.com/li/1058779
 
となると、「10万人の宮崎勤」という発言の正確性だけを否定して何の意味があるのかという話になる。コミケと切り離せばいいという話か。
 
拙ブログでも、複数回、テレビ番組出演者の発言について言及しているが、多くは視聴した記憶を頼りに書き起こしているので、発言そのままではない。なので「『〇〇』などと発言」というふうに「など」を入れてごまかしている。しかし、発言がそのままでないからといって、その内容について間違えているとは思っていない。
 
新聞や雑誌メディアでも、鍵かっこで囲われている取材対象者の発言は、発言そのものではなく、記者による書き直しが行われている。それは字数制限だったり、読者に分かりやすいように抜粋したりなどという理由によるものだ。
 
コミケ幹部の「当時『10万人の宮崎勤』という報道があった」という発言の検証とは、学問興味的には意味があっても、社会的にはこだわる箇所ではないのではないか。そこを間違えると、当初問題とされていたこと自体を矮小化・否定しようとする行為と同じになる。
 
もちろん、Wikipedia等の「東海林のり子が『10万人の宮崎勤』発言した」という記述の検証は、当人の冤罪を晴らす意味合いはあるが。
 
宮崎勤事件により、オタクが犯罪者予備軍として警戒されるのは仕方がない、と思っていない限り、コミケ幹部の「当時『10万人の宮崎勤』という報道があった」という発言も、当時のオタクバッシングの状況を感じる一つの証言にはなる。
 
ネット上ではデマ検証記事は、何のための検証か、という目的に注目して読まなければいけない。