子供しか救わない世間

昔から違和感を感じていたテーマで、ネット上では全然表に出てこない内容の文章を匿名ダイアリで見かけた。

なぜ「最貧困少年少女」は救いにくいのか
http://anond.hatelabo.jp/20150324133811

上記より気になった箇所抜粋。

貧困少年のケアは、彼らが「裏社会に入った地元の先輩」になついてしまい、
「下っ端の加害者」として使われ始める前に行われるべきなのだろう。
貧困少女が風俗スカウトになついてしまう前にケアされるべきなのと同じことだ。
しかしケアをする組織は、「裏社会に入った地元の先輩」や「風俗スカウト」を敵に回すことになる。
貧困少年少女が救われることで、彼らを搾取して暮らす「むかし貧困少年だった大人たち」が飯のタネを失うことになる。

貧困少年を搾取した過去を持つ、むかし貧困少年だった彼らは、まともな仕事に再就職できるだろうか?
一般市民のあなたに聞きたいが、彼らと働けるか?


以前自分が書いた内容より再掲。

昨年末に放送していた、底辺を生きる子どもたちをテーマにした一連のNHKスペシャルを思い出す。

NHK NEWS WEB “消えた”子ども1000人超

http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2014_1222.html

こういう番組を見ていつも思うのが、同情されるのは子どものうちだけ、ということ。子どものうちに保護されずに成人になった人間に対して世間は冷たい。多かれ少なかれどの家庭でも子どものうちに何らかの歪みが与えられるのは当たり前という世間の認識でもあるのだろうか。その歪みを認識して普通の人として皆生きている。どんな虐待を受けた人間でも犯罪者に対して同情は必要なく情状酌量の余地もない。という話だろうか。

スナック菓子つまようじ混入事件で怒りを覚えた人が次に考えるべきこと

それこそ赤江アナが言ったように、そもそも20歳以上に「可塑性」が認められないのはおかしいのである。少年法だけではないが、国や自治体が提供する一個人に与えられる権利やサービスについて、18歳や20歳で自動的に切り捨てられるものが多い。親に虐待されるなどして社会と隔絶された子供がいたとして、20歳未満のうちに保護されれば、いろいろな施設や団体が守ってくれるが、20歳以上になってしまった途端、義務教育を受けていようがいまいが「義務教育を受けた大人」として振る舞うことが強要される。20歳以上は「可塑性がない」ので社会で「小学校からやり直せ」と罵倒されたところで小学校からやり直すための制度はない。子どもの権利条約が守られずに子供でなくなった人間を救済する制度はどこにもない。ましてや凶悪犯罪を犯したとなれば廃棄処分を求められるだけである。

「少年犯罪の凶悪化」「少年犯罪の厳罰化」の話で本当にほしいデータ

テレビや新聞で「子どもたちの貧困」とか「子どもたちを救おう」とか「子どもたちへの虐待問題」とか「子供の権利」とかが連呼されてるとほんと違和感ばかりが付きまとう。問題として扱われるのは法律や条例で決められた18歳未満や20歳未満の人間に限られ、この年齡を超えたら、この年齡以前に受けた困難のせいで問題が起こっていても、この年齡以前に受ける手厚いケアよりは限られたものになってしまう。この年齡以前に問題が世間に発見されれば、この年齡を超えても何らかの継続支援があるかもしれないが、以降に発見された場合、しかも犯罪行為の結果発見された場合は世間から同情的な感情は寄せられず、制度としての犯罪者支援はあるだろうが、その規模は小さい。小学校に行けなかった大人に、小学校の勉強を支援する人たちはいるかもしれないが、小学生としてやり直しできる制度や支援はない。