凍りつかせるマナー問題

さかもと未明氏の「機内で泣く幼児にブチ切れ」コメントをどう考えるか? | プリンストン発 新潮流アメリカ | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2012/11/post-501.php


上のリンク先の気になった部分。

 私は日本で新幹線に乗るのが好きですが、新幹線の社内で幼児が泣くと車両の中の雰囲気が凍るのを感じます。幼児とそのケアをしている親以外の、ほとんど全ての乗客が深く静かに強い不快感を抱いているのが感じられるからです。

多分、ほとんどすべての乗客が筆者と同じこと考えてると思うよ。不快感を抱いていると感じられる乗客の一人に筆者も入ってると思うよ。



赤ちゃんの泣き声以外にも公共の場所が凍ってしまう出来事は結構ある。
・幼児が暴れる
・障害者の出現
・酔っぱらいの出現
・突然キレる人


場が凍ってしまうのはなぜか。
もともと決まった行動、静寂しか許されない空間になっているからだ。


はじめから雑多で猥雑な場であったならば、赤ん坊が泣こうが幼児が暴れようが突然キレる老人が現れようがそれを大声で叱りつけるおっさんおばさんが現れようが、そこが凍りつくことなんてない。全部日常だから。雑多な日常があればこそプライベート空間の住み分けがサービスとして光る。


公共の場なんて雑多なことものがあって当然なのに、メディアで喧伝したもの勝ちのマナーとかルールが幅をきかせて、封印されていく。その結果、凍りつくだけになってしまう。


赤ん坊の泣き声を聞いたら親でなくでも気にしてしまう。だけど誰も声をかけずに凍りついた場を溶かす人がいないのだという。「大丈夫?」「元気だねー」「お腹すいてるの?」「病気じゃないの?」「ちっうっせーな」「席移動してあやしたほうがいいんじゃないの?」「お乳あげてみたら」
同じ場にいる人はそれぞれ様々な感想を抱いているはずだ。気にせず声をかければいいけど声をかけられない。そして場が凍りつく。「声をかけたら母親の負担になるかな」「うるさいと怒鳴りつけたら俺が悪者になるな」とか様々な理由で声をかけずに凍った場を放置したままだ。緊張感で余計にイライラ感が増す。


こんな時誰にでも話しかけられる会話力を持つおっさんおばさんたちがうらやましい。