るろうに剣心を見たけど、どうして日本漫画の映画化で原作は大事にされないのか

実写映画の「るろうに剣心」を見た。公開時の評判は良かったそうだし、予告映像を見てもかっこよかった。しかし、実際に見てみたら途中で飽きてしまった。ならず者たちが神谷道場を襲撃して、剣心が助けて警察に連行されるシーンまでしか見てられなかった。ならず者のチンピラ演技が時代劇のそれとは違う感じがして安っぽく感じたからだ。最後まで見た人によれば、この後、悪の親玉を倒しにいくけど、そこに出てくるキャラが原作とは違ってもうめちゃくちゃだったみたい。肝心の御庭番衆は出てこない。斎藤一が活躍する。左之助のエピソードが違う。人誅編のキャラが出てくる。などなど。


でも映画は大ヒットしたようで、続編が作られるみたい。京都編のエピソードを使って。ヒットして続編作るのはいいけど、これまた原作とは全然違う話の構成になることは目に見えている。原作と映画は違うのが当たり前っていう人がいるけど、話が違ってたら原作使う意味がない。ああいうこと言う人は頭悪いんじゃないだろうか。


なぜ前から順番に映画を作ろうと思うのだろう。実写「るろ剣」の評判なんて、「佐藤健クンカッコいい!」と「殺陣がすごい!」の2つしかなかったんだから、別に原作の人気キャラや人気エピソードをむりくりつなぎ合わせる必要はなかったはずだ。左之助が仲間になるところと、鵜堂刃衛のエピソードだけでも十分起承転結ある脚本が作れる。何よりエピソードをごちゃ混ぜにしないことで、続編をたくさん作れることがメリットだ。鵜堂刃衛編と御庭番衆編を別々の映画として撮れる。より金儲けにつながる。もっと続編を見越して映画作りをすればいいのに。