「日本人以上に日本人らしい」という言葉の誤用

新しい朝ドラ『マッサン』が始まって、モデルとなった竹鶴リタについてぐぐってみると、ニッカウヰスキーのサイトにこういう文が書かれてた。

プロポーズの時「スコットランドに残っても構わない」と言う竹鶴に、「私はあなたの夢を共に生き、お手伝いしたいのです」と答えたリタ。日本の生活に溶け込もうと努力を重ね、漬け物や塩辛まで手作りした彼女を、人々は「日本人以上に日本人らしい」と評したほど。日本語の勉強にも励み、流暢な関西弁を操るまでになったが「マサタカサン」という発音が難しかったためか、竹鶴のことを「マッサン」と呼んだ。


http://www.nikka.com/taketsuru_rita/

<日本の生活に溶け込もうと努力を重ね、漬け物や塩辛まで手作りした彼女を、人々は「日本人以上に日本人らしい」と評した>


とある。
これを読んで、最近テレビを見ていてどの番組かは忘れたが気になったものとして、途上国の外国人の生活をVTRか何かで紹介した後、スタジオのゲストがその外国人について、「真面目に勤勉に働いていて、日本人以上に日本人らしい。今の日本人が忘れたものを持っている」みたいなことを言っていたのを思い出した。


リタのように、日本の文化や習俗を受け入れ自ら実践する彼女のことを「日本人以上に日本人らしい」と評するのは合っている。地元の文化よりも外の文化を受け入れようとする日本人も多いだろう。
しかし、単に「勤勉だから」「真面目だから」という理由だけで「この外国人は日本人らしい」ってのは、何ともまあ失礼な話だ。外国人にどんだけ偏見を持っているのか。
最近の2ch界隈で「日本は四季があるから(素晴らしい)」という皮肉ネタが流行っているが、こういうどの国でも通用することを日本の誇り認定してしまうのはいつからの流行りなのだろうか。「真面目で一生懸命で勤勉だから日本人らしい」も最近のテレビ番組だけでなくもう何年も前から聞く言説である。