話題の小説を芦田愛菜主演で映画化した『星の子』。とにかくナベちゃんがかっこいい映画。
原作は新興宗教(カルト)信者2世の複雑な気持ちの揺れ動きを描いていると話題。
映画もその揺れ動きが芦田愛菜の演技で十分に伝わる。けれども、カルト2世の問題を描いた映画というか、子供が成長していくにつれ家庭と外の世界との違いに気づいて混乱するという誰にとっても普遍的な思春期の悩みを描いた映画と受け取った。
料理の味付けや日々の生活習慣から家族問題まで、世間一般の家庭と違って自分の家は特殊なんだと気付くことは誰にでもある。人に話して笑い話にできるようなものもあれば、人に言えない深刻なものもある。反発して家を出ていくこともあれば、受け入れて大人になることもある。
映画では主人公が悩むところは描かれるが受け入れるか受け入れないかの決断は最後まで描かれないままで終わる。
ラストシーン、中学卒業後の進路に悩む主人公をカルト信者の両親が星を見に誘う場面。
両親は流れ星を見るが主人公は見ていなかった。
両親は主人公に流れ星を見せようといつまでも粘る。
主人公は「見えた。見えたから帰ろう」と言うが両親には見えない。
両親は3人一緒に見るまで帰らないと言う。
両親の意図は何なのか、いろいろな推測がされている。
曰く「両親は主人公を親戚の家に預けて教団から離れた生活をさせてあげようと提案しようとしている」
曰く「親から離れそうな主人公を両親は逃すまいとしている」
どちらかと言えば後者なんだろうな。
現実的に見れば、ここで両親が主人公にしたかった話は、ずばり教団設立の高校への進学の提案だろう。
このラストシーンの前に、両親が謎の不在をする場面がある。映画の演出的には主人公の心の不安を劇的に描いたシーンなのだけど、キャラクターの動き的にはその時間の両親は教団の幹部と会っていた。この規模の教団なら教団設立の高校や高校に準ずる学校は持っていることだろう。そこへの入学を幹部は両親に提案したんだろう。場所によっては寮生活になって友達はもちろん両親とも離れるから重大な問題だ。
映画のテーマ的に、親から離れるか親を受け入れるか、があるけど、結末は親から離れるが親が信じた道に行く。
とにかくナベちゃんがかっこいい映画