統一教会を増長させた裁判所

安倍晋三銃殺事件を機に統一教会の問題がクローズアップされている。

なぜ90年代前半まであれだけ問題だと騒がれた統一教会が今でも政治的に力を持ってるのか、なぜマスコミはいつの間にか報道しなくなったのか、について、「統一教会と行政」「統一教会と政党」の関係には注目が当たっているが、三権の残り1つ、「統一教会と裁判所」との関係も注目されるべきだ。

統一教会と裁判所」の焦点は、近年の統一教会が誰を何で訴えて裁判所はどんな判決を出してきたか、という話である。

2010年前後から、統一教会は反・統一教会の活動する人を訴えてきた。そして勝利してきた。身内を脱会させようと説得する家族に対して、統一教会は「拉致監禁」だと裁判で賠償を訴えて、それが認められている。原理研究会に所属する学生を脱会させようとした大学教員も訴えられて負けている。

統一教会と政治家」との関係以上に、「裁判所が統一教会の訴えを認めた判決」は「法的に統一教会が認められたから問題はないから統一教会と付き合ってもOK」というお墨付きを与える結果になっていったと思う。実際、統一教会は自らのサイトで判決を宣伝に使っている。

「有力政治家が隠れずに堂々と統一教会と付き合うようになった」「マスコミが統一教会の問題を報道しなくなった」「裁判所で統一教会の訴えが認められるようになった」これらの事象は、どれが最初かという話ではなく、お互いに影響を与え合いながら各事象はそれぞれ強化されていったんだろう。