テロは無差別が良いかターゲットを狙ったほうが良いか

フランスの週刊紙を狙ったテロ事件。先進国に衝撃を与え、週末には「言論の自由」「表現の自由」を主張する大規模なデモが開かれた。犯人グループはイエメンで活動する「アラビア半島のアルカイダ」の指導者からの支持と支援を受けて犯行に及んだとの報道が出ている。
気になるところといえば、今回の事件は、過去のボストンの爆弾テロやロンドンのバステロと比べて、世界の反響が大きいように思えるところ。週末のパリで行われた大規模デモは百万人という参加者が広場に集まり行進したという。被害国のフランスの反響の大きさは当たり前とも言えるが、日本国内の報道の大きさについても、感覚として、以前のテロ事件よりは過熱していると思う。
ボストンやロンドンのテロと、パリのテロとの違いといえば、パリのテロは、特定のターゲットを狙ったテロ事件で、ボストンやロンドンのそれは爆弾で無差別に攻撃したテロ事件ということである。他にも銃か爆弾かなど細かい違いは指摘できようが、反響の大きさの違いの理由への回答としては、無差別テロか標的テロか、それによって変わる、これであろう。
ターゲットが明確であるから、事件直後から動機の正当性が議論された。犯行者の動機は「イスラム教徒を馬鹿にする記事を書き続けたから攻撃した」というものだ。世界中でこの動機はおかしいと即座に反発していて、それが週末、世界各地で開催された「言論の自由を守る」デモにつながった。しかし日本のネットではこの動機にも理がある、という意見が一定の支持を受けてたりもする。
事件を犯す時は、無差別が良いか標的を明確にしたほうが良いかは、大きな事件後、よく議論されているのをネットで見る。例えば自暴自棄になった無職男性による無差別殺傷事件が起こった時に、「狙うなら無差別ではなく、政治家や官僚、資本家を狙えよ」という投稿は定番中の定番となっている。この点、以前に厚生省官僚が連続して襲撃された時には、「官僚を狙ったテロ事件」として大きく報道され、駅前で頻発するような無差別切りつけ事件と違い、その真の動機が愛猫家の逆恨みと判明するまで長く注目された。つまり、世間としては、無差別に犯行に及ぶよりも、ターゲットを絞った犯行のほうが、自分がターゲットにならない限り好き勝手に言うことができ、時に犯人に同情しながら、興味を掻き立てられるというわけだ。
一方で、裁判では一般的に、計画的な犯行のほうが突発的な犯行よりも重罪になるという常識があり、何かの事件後にこういう論点が出てきた時に「計画的な犯行の方が罪が重いっておかしくね?突発的に人殺しする人間のほうが恐ろしい」という投稿が頻発するのもネットの常である。ターゲットを計画的に狙った犯行と、ターゲットが突発的に選ばれた犯行はどちらが恐ろしいか。いや、後者は犯行を行うと決めていた時点で既に計画的といえ、罪の大きさは変わらない、むしろ動機による情状酌量が働く予知がない分、罪がより重くなる。テロを実行するならば、計画を立てた時点で、なんとなく人が多いところを攻撃するのではなく、明確な人一人をターゲットとして選んだほうが、世間にメッセージを伝えやすい。こんなこと今まで何万遍と先人たちが思いついてきたことだろうけど。