「デマ」を安易に見出しに使う行為とデマ

鉄道人身事故について、現場に居合わせた人物の「歩きスマホで線路に落ちたらしい」というツイートが瞬く間に拡散し、まとめサイトなどで「原因は歩きスマホ?」などという見出しで記事が作られ、この「らしい」が事実として浸透していくという、ネットでは毎度の現象がまた起きた。
この噂をネットメディアが鉄道会社や警察に電話取材したところ、「歩きスマホが原因という情報は入っていない」と否定された。マスコミでは電車が入るタイミングで線路に駆け込んだ自殺として伝えている。

「歩きスマホが原因で人身事故」ツイートはデマ? - 東急広報部に聞く (マイナビニュース) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150625-00000075-mycomj-sci

それら一連の流れをマイナビニュースでは「デマ?」という見出しで報じている。Jキャストは「デマ」と断定見出しにしている。
最近、この手の「デマ」という言葉をつける見出し、タイトルが多い。商業メディアだけではなく個人のブログ記事やまとめ記事でもだ。[その「デマ」はほんとに「デマ」として広がってるの?][話の真偽よりも「デマ」と断罪するほうに重きを置いてないか?]といろいろ疑問に思う。国語辞典的には「デマ」という言葉を使うのに間違ってはいないのだろう。調べた結果、事実と異なる情報が含まれていたから「デマ」と見出しをつけたのだろう。しかしそれでも、安易に「デマ」と見出しをつけていないか? いや、「デマ」と見出しにつけたがる気持ちは分かる。キャッチーな言葉だし、分かりやすいし、読者の正義感を喚起できアクセスを集めやすいから。実際自分も、ネットの噂をまとめ検証した記事を書く時は迷った末に「デマ」という言葉を入れてしまう。「デマ」という言葉は正義感、倫理観に響く言葉であり、結果的に「デマ」を流通させた者たちを貶める効果を持つ。twitterまとめで、「デマ」が流れている例としていくつか「デマ」を信じているツイートを入れるのは通例であるが、これは「晒し」行為だとして批判もある。実際「晒し」効果は抜群である。「デマ」は悪意を感じる言葉である。だから「デマ」を流通させた者たちは「晒し」という社会的(ネット的)制裁を受けても当然というマッチョな風潮も一部で存在する。思想的な「聖戦」を行っている時は、「敵」が虚偽の情報を流した行為が錦の御旗として「敵」勢力を潰す格好の武器になったりもする。「聖戦」に感化されている時は躊躇なく「デマ」と断罪する。ただ本当に「悪意」で捏造された「デマ」ならば、潰しがいもあるのだが、社会に蔓延する「不確かな情報」は捏造されたものばかりではない。「不確かな情報」には、実際は事実と違っていたとしても、「不確か」なりの、その情報が形作られた理由や根拠、経緯があったりする。情報を検証する際に、この「根拠」に対する解説が弱かったりすると、たとえ「デマ」と断罪して切って捨てたとしても、「不確かな情報」はグレーな話として保留され延々と出回り続ける。政治家の疑惑などがそれだ。最近見かけた「デマ」断罪記事は、この「不確かな情報」が形作られた経緯が省かれていた。なので突然ネットで降って湧いたかのように「デマ」が捏造されかのような記事構成に思えた。[ある事象をネットで推理していくうちに一つの結論にまとめられていったが、別の新情報が入り、その結論は間違っていると分かった]という話で、途中までしか参加していない者は旧い情報を最新の最も真実に近い情報として流し、最後まで参加し続ける者だけが本当に新しい正確な情報を知りえる。その状況で最後まで参加し続けた者は、単に最後の結論だけ報告し、旧情報を「デマ」と断罪するよりも、新情報が入った経緯も書き記し、「君はここまでの情報しか知らないから間違った結論になっているんだ」と諭すほうが、途中離脱者の理解も得やすい。近頃は140文字のツイートで「あれはデマ」「これもデマ」と一言でバッサリ切り捨てるアカウントが人気になっているようだが、こっちが知りたいのは、その「デマ」が出来た経緯、拡散している場所、何故「デマ」と判断したかその根拠、その根拠を見つけた経緯なのだ。140文字のツイートではもちろん省略されている。というかそうした情報についてデマ断罪アカウントは無関心なのかもしれない。「不確かな情報」の検証は面白い。検証の結果「デマ」「事実」「保留」とどの結論が導けるにしろ、面白いのはその検証過程であり、結論はあまり関係ないのだ。実際この手の検証でネットを利用した在宅調べのみでは結論を確定させることは難しい。だいたい8割型こういうことだろうな、というところまでしか導けず、これをまとめ記事にしようとしても、見出しは「デマ?」「ほんとう?」とハテナ付きのものになってしまう。歩きスマホの噂におけるマイナビの記事でもハテナ付きの「デマ?」だ。鉄道会社に電話取材したのに何故はてな付きなのか。それは実際に「歩きスマホ」の件をツイートした人への取材を行っていないから。どういう理由で「歩きスマホ」が原因の事故と思ったか、それが確定していないから。線路に飛び込んだ少女が、直前にスマホを見ていたのを「歩きスマホ」と勘違いしたのか、単に現場で流れた噂をツイートしただけなのか、別の歩きスマホの人物と少女を見間違えていたのか、実際少女が手にスマホを持って線路に飛び込んだのを「歩きスマホ」と書いたのか、鉄道会社や警察への取材だけでは分からない疑問は盛りだくさんだ。[現場から流れたとされる「歩きスマホの事故」というツイート]を「実際は自殺」という事実のみを持って「デマ」と断じていいものだろうか。または、このツイートを「原因は歩きスマホ?」とハテナ付きにしても「デマ」と断じられたまとめ記事は、マイナビが「デマ?」とハテナ付きで報じた記事とどこが違うのか。複雑に形作られた「不確かな情報」を「デマ」という安易な言葉に押し込めることは、逆にその情報や情報が持つ性質に感化されていた人たちを冷静な検証と論理の場に連れ出すことを難しくさせないか。