「北朝鮮スリーパーセル」発言で三浦瑠麗だけが炎上した理由 「学者」の肩書きの重み

フジテレビの情報バラエティ番組「ワイドナショー」で政治学者の三浦瑠麗氏がした発言が問題視され炎上している。

三浦瑠麗氏、ワイドナショーでの発言に批判殺到 三浦氏は「うがった見方」と反論(アップデート)
http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/12/ruri-miura_a_23359021/

 
三浦瑠麗氏はブログで釈明をしているが、その内容を簡単に書けば、「同様のことを過去にネットで記事になっていてテレビで他の人も話しているのに何故わたしだけ炎上するの?」というものだろう。

朝鮮半島をめぐるグレートゲーム - 山猫日記
http://lullymiura.hatenadiary.jp/entry/2018/02/12/205902

 
その理由を考察すれば、過去にテレビ等で三浦氏と同じように北朝鮮スリーパーセルを雑に話していたのは「学者」ではなかったが、三浦瑠麗氏は「学者」だからである、と言える。
 
三浦瑠麗氏は「学者」の肩書きで出演しているので、その言説の客観的な根拠や出典を求められているのである。
 
北朝鮮工作員に対する危機感についての報道は、ネットで左翼番組と揶揄されるTBSの報道特集でも何度も放送されてきた。他にもテレビの北朝鮮危機の特集では、何度も取り上げられてきたであろう。
 
しかし、こういったことを取り上げてるのはたいていは肩書きで「記者」や「ジャーナリスト」を名乗っている方々である。別に「記者」だから根拠なく放送していいと言うわけではないが、記者は記者として自分が見聞きしたことを「取材」としてそのまま話せる。その内容が間違っていたとしても間違っていたのは情報源のほうで記者ではない。
 
一方、三浦瑠麗氏のように学者の場合。学者は掴んだ情報について自分で真偽を分析した上で世に情報を出す。学者が学者として価値があるのはその分析する知識を日々勉強しているからだ。だからこそ、マスコミの記者は解説役として学者を頼る。
 
自分のよく見ているテレビ朝日の情報番組「モーニングショー」でも、北朝鮮の脅威を語る役目としてよく解説者を引き受けている辺真一氏の肩書きは「記者」であり、一方で、同じく解説役として出演する大学教授の場合は、辺真一氏のように「危機」を熱弁することはしない。これが「学者」と「記者・ジャーナリスト」とのテレビ出演での違いであると思う。
 
今回、三浦瑠麗氏は政治学者として「ワイドナショー」に出演して、北朝鮮工作員についての独自の見解を述べた。その論について、根拠が不十分な上に差別偏見の拡散につながる雑な言説、だと批判を浴びている。
 
出演者の松本人志氏は「共演者が炎上していて悲しい」と述べているが、学者・三浦瑠麗の論説が批判を受けているのであって、そのこと自体は健全な学術行為であると思う。単に炎上しているわけではないのだ。