菅谷さんが何故、嘘の自白をしてしまったか

足利事件
菅谷さんは、ロス疑惑のような単なる無罪ではなく、無実を勝ち取った。
しかし、ネットを見ると、最初に自白を何故したのかと、菅谷さん叩きをする人もちらほらいる。


怒鳴る、蹴る、つかみかかるの取り調べ行為がテレビドラマで普通に放送され、世間も容認してた時代、逮捕→起訴→有罪が一本道でつながってた時代に、菅谷さんの言うような暴力的行為があったことは容易に想像できる。
暴力的な取調べのあとは必ず諭し役が入る。手練手管で、「暴力的な刑事と違って俺はお前の味方だ」という印象を容疑者に与える。
「証拠は全て揃っている。お前は必ず刑務所へ行く。罪を認めれば、刑期も軽くなる」といった適当なことを吹聴する。
また、「お前の家族や職場の同僚、近所の奴らも全員お前が怪しい、お前がやった、と考えてるぞ」と本当はそんなこと言って無くても周囲からプレッシャーをかけたり、
「お前が罪を認めないから、俺たちも家に帰れない。暴力的な刑事が暴力したくないけど暴力する。被害者の家族も悲しみ続ける。お前が罪を認めたら、被害者家族の心情も楽になる。俺たちもうれしい」と、情に訴え、(俺1人が数年刑務所で我慢すれば、みんな喜ぶんだ)と容疑者のヒロイズムを感化させる。


これらの取調べ技術は、宗教勧誘、悪質なキャッチセールスの技術と全く変わらない。
そして菅谷さんには人の意見に流されやすい傾向がある、という精神鑑定結果が出てる、という記事もどっかで見た。こういう人は往々にいるもので、それこそキャッチセールス被害者が後を絶たない


テレビ報道をみると菅谷さんは、「何故自白してしまったか」について口ごもることが多い。椅子を蹴られた、怒鳴られた、という分かりやすい事例を挙げるに留めている。もう忘れてしまっただけかもしれないが、菅谷さんは自白に関しては自分にも落ち度があった、と考えているのではないか。長期間拘束され、もうどうでもいいや、と思ったり、今の現状を主観的に見れずに後のことを考えず、ここで自白したらどうなるんだろう?、と好奇心であったり、警察にむかついて、捜査を混乱させてやる、とか、俺が罪を被って刑務所に入るから被害者さん成仏しな、みたいなカッコつけ。
こういった一見、自発的な自白、だが実際は刑事の取調べによる心理の誘導、は冤罪被害者にとっては落ち度として残り、自分が悪いんだからこうなるのはしかたがない、と思って、最初の弁護士にも、やった、といってしまったのかもしれない。被害者遺族に極刑を求められ、自白を翻すのも仕方が無い。刑事に「どっちにしろ裁判かけられるんだから自白したほうがいいぞ」と言われ自白したのに、どっちになっても変わらないんじゃ、カッコつけるどころか、かっこ悪くても真実訴えるしかない。


自白に関して、裁判員制度にともない、ビデオ撮影が求められている。ビデオ撮影は、暴力的な取調べには役立つかもしれないが、今や重大事件の取調べで、昔のような単純な暴力行為をおこなってる警察なんてないだろう。裁判で今後提出されるかもしれない、容疑者の一見自発的に見える自白の正当性を判断するには、足利事件で弁護士側が行ったように、供述内容と捜査資料との整合性をひとつひとつ矛盾がないか時間をかけて確かめるしかない。
果たして裁判員制度でそれができるのか。