安重根が「犯罪者」に違和感

中国韓国が伊藤博文を暗殺した安重根の石碑か何かを協力して建設する動きがあるらしく、それに対して菅官房長官が「安重根は犯罪者なのに」と反発して、韓国メディアがファビョるという、いつもお馴染みの展開がまたあったようで、いろいろ話題になっている。


http://www.asahi.com/articles/TKY201311190392.html
http://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2013/11/post-760.php
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20131119/1384901432


英雄でも犯罪者でも立場によって見方が変わるのは当然なのだけど、日本から見れば犯罪者という認識にはピンと来ない。自分にとっては安重根は、ただの歴史で習う人物の1人でしかなく、犯罪者と呼ぶような存在でもない。事件当時の日本としては「テロリスト」であり「犯罪者」である、という話なら分かる。しかし、戦前の何十年の前の人物について現代人が「あいつは犯罪者」などと呼びつけることには違和感がある。感覚的に皆、歴史上の登場人物扱いだ。戦後の人物について「犯罪者」というならわかるが。


歴史を習う上で、こいつ好き、こいつ嫌いという印象は持つが、桜田門外の変井伊直弼を暗殺した水戸藩士について特に好き嫌いで判別できず個人で印象が残らないことと同じように、伊藤博文暗殺の犯人についても好き嫌いとか印象が残ることはない。
韓国で英雄視と聞いても、へー歴史で一瞬出てきた人名が韓国では英雄になってるんだ〜、くらいにしか思わない。「英雄ではない、犯罪者だ!」と強く言うほど印象に残っていない。「伊藤博文を暗殺した人」でしかなく「犯罪者だ」と特に断罪するような意識は働かない。
これは安重根への執着というより、伊藤博文にどれだけ愛着を持っているかどうかで、変わってくるんだろうな。
伊藤博文肖像画になってたお札を使っていた世代にとっては、「安重根伊藤博文という日本が誇る偉人を暗殺した犯罪者」という意識が強くなるのかもしれない。まあ単純に戦前日本と現代日本を切り離して考えてるからというだけかな。