「少年犯罪の凶悪化」「少年犯罪の厳罰化」の話で本当にほしいデータ

稲田朋美政調会長「少年犯罪が凶悪化〜」→根拠はあるの? Twitterの議論まとめ - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/789102

若者による凶悪犯罪が増えてるという認識は100%正しい
http://anond.hatelabo.jp/20150311194457

テレビ朝日モーニングバード!」の今日の「そもそも総研」は、少年犯罪の厳罰化についての話。「少年犯罪は凶悪化している」という言説について、戦後の少年犯罪の検挙件数のグラフをもって「実は少年犯罪は減少している」とし、さらに過去の少年犯罪の記事を提示し「過去にも現在と同じく少年による理不尽な凶悪犯罪はいくつもあった」と主張し、「少年犯罪の凶悪化」を否定する。ネットでもよく見かける主張であり、まあその通りだよな、と思う。むしろテレビニュースの少年犯罪報道で紋切り型に「最近の子供は酷い」とコメンテーターやキャスター、アナウンサーが話すのは、後でこういう特集や池上彰の番組で「実はそんなこと全然ないんです」と否定するためなのではないか、と考えたりする。


一方で、「少年犯罪の厳罰化」の話になってからはおかしいと思うことも多い。ネットで「少年犯罪の凶悪化」を否定して勝ち誇ってる人も多いが「厳罰化」には賛否を言わない。そもそも総研に出てきた専門家も「凶悪化を理由にする厳罰化」には自信を持って反対しているのだが、単に「厳罰化」についてはお茶を濁したような物言いに感じた。そもそも総研では玉川徹が、「選挙権年齢引き下げと少年法の年齢引き下げをリンクさせるのはおかしい」と最後にまとめていたが、赤江珠緒アナにバッサリとツッコまれていた。そしてそのツッコミは正論であった。


玉川「少年の可塑性(環境次第で悪にでも善にでもなれる性質)を信じて少年法では少年を20歳未満に定めている。選挙権年齢の引き下げにつられて安易に18歳に引き下げでもいいのか」
赤江「難しい問題ですね。可塑性の話は分かりますが、何で20歳以上には可塑性がないことになっているのか」
玉川「それはどこかに線引きが必要ですから……」


「どこかに線引きが必要」というなら別にその線を18歳で引いたっていい。そもそも「凶悪化」を否定する際に「データ」の重要性を訴えているが、現行の少年法に関して、18歳以上を少年と扱うことで、どれだけ「可塑性」を発揮して更生させることができているのか、そういうデータは提出されていない。更生プログラムや容疑者・被告・服役囚の権利は20歳以上に適用される法律にも備わっているはずだ。何故、18歳以上はそれではいけないのか。


厳罰化を求める層の少年法改正案が「少年の定義を18歳未満とする」というものだとして、それを「意味が無い」というならば、現行の少年法が「意味がある」ことを提示しないと納得はできない。それには、「18歳以上20歳未満に初犯を犯した少年」のその後と「20歳以上22歳未満に初犯を犯した成年」のその後にどれだけ差があったのか、再犯率や就職率、年収、経歴などのデータで提示などすれば分かることだろう。


予想としては、「少年犯罪の凶悪化」が幻想なのと同じで、少年法が守るものが18歳未満でも20歳未満でも凶悪犯罪をした犯罪者の更生率や再犯率は変わらない、と考えているが。「凶悪化」が幻想なれば、「少年法のおかげで少年を更生させる」も幻想なのだ。



「少年犯罪が凶悪化している」なんてことは一切なく、犯人が少年だろうが成年だろうが犯罪は凶悪なのである。そして現行の少年法で定められている年齢の少年の「可塑性」は幻想なのではないか、と多くの人が考えているから、年齢引き下げが求められているのである。


それを「データをみると厳罰化は犯罪抑止にならない」「少年法で罪が軽くなるから少年が犯罪を犯すのであれば19歳で駆け込み犯罪が起きなければおかしい」と言っても全く別の話で意味がないのである。19歳と20歳で「可塑性」を分ける少年法に意味があるのか。17歳と18歳、あるいはそれ以下の年齢で分けるのと違いはあるのか。ほしいのはその「データ」であるが、そもそも総研でも説明されなかったし、ネットでも自分の見る限り見かけたことはない。


それこそ赤江アナが言ったように、そもそも20歳以上に「可塑性」が認められないのはおかしいのである。少年法だけではないが、国や自治体が提供する一個人に与えられる権利やサービスについて、18歳や20歳で自動的に切り捨てられるものが多い。親に虐待されるなどして社会と隔絶された子供がいたとして、20歳未満のうちに保護されれば、いろいろな施設や団体が守ってくれるが、20歳以上になってしまった途端、義務教育を受けていようがいまいが「義務教育を受けた大人」として振る舞うことが強要される。20歳以上は「可塑性がない」ので社会で「小学校からやり直せ」と罵倒されたところで小学校からやり直すための制度はない。子どもの権利条約が守られずに子供でなくなった人間を救済する制度はどこにもない。ましてや凶悪犯罪を犯したとなれば廃棄処分を求められるだけである。成長した大人でも幼児教育から20年かけて「育て直し」すれば人格を変えられるのでは、と勝手に思っているが過去にそういう実験とかした人いなかったのかしら。まあ、少年法の「可塑性」を認めるとして年齢で線引きできるものではないだろ、という話である。なので18歳未満だろうが20歳未満だろうがどっちでも変わらないだろというのが言いたいことだ。凶悪犯罪は子供でも大人でも凶悪。


もう一つの少年法改正議論の主題「少年犯罪報道の実名化」について。可塑性を信じて更生の邪魔にならないように実名報道は禁止されている。「可塑性」の話題と同じで、この議論のおかしいと思うこととして、第一に、「実名報道禁止は何故成年に適用されないのか」「成年犯罪者の更生を信じないのか」という点。まあ法律、社会は信じていないのだろう。もしくは「成年に限れば実名報道は犯罪抑止効果がある」というデータがあるのかもしれない。第二に、「実名報道が少年の更生を本当に阻むのか」。これは疑問。報道しなくたって地元では顔と名前は相応に広がるわけで、犯罪を犯した少年が出所後地元でそのままやっていけるわけはない。実名で報道したとして、更生するときは苗字、名前を法的に変えればいい。顔写真は少年ならば成長とともに人相は変わる。実名報道が少年の更生を阻むデータがあるのか。むしろ実名が出た方が捕まった時の反省を促しやすいと思うのだけど。