「じゃあ誰なら良かった?」という反論は愚問

リオ五輪閉会式。次期開催地東京のパフォーマンスセレモニーで、マリオに扮した安倍首相が登場したことに対し、識者・タレントらが違和感を表明した。その記事には「じゃあ誰なら良かった?」「安倍首相以上に世界的有名人がいるのか?」なんてズレた意見が多かった。


はてなブックマーク - 安倍首相登場に違和感「主役は選手。首相は出てくるべきではなかった」 ― スポニチ Sponichi Annex 五輪
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.sponichi.co.jp/olympic/news/2016/08/22/kiji/K20160822013217210.html


なぜ有名人を出すことにこだわるのか。このような意見を述べる人は、一方で「AKBやエグザイルやジャニーズを出すな!」と「有名人」の出演に反対する。なのに「ほかに『有名人』はいるのか?」と「有名人」にこだわる。結局、ミーハーなのは変わらない。


別に有名人を出す必要はなかった。テレビの情報番組で、この東京のパフォーマンスについて、あるアナウンサーが「今回は国内で知られるタレントさんやアーティストさんなど有名人が表に出てこなかったのが良かった」みたいな意見を述べていたが、それに大いに賛同するのと同時に、「その通り。なので安倍首相も出てこないほうが良かった」と一人ごちた。


パスを受けるのもマリオに変身するのも首相でなくてもよい。他の有名人でなくても良い。それこそ少女から始まったセレモニービデオなのだから、最後は少年、東京五輪で期待できそうなジュニアアスリートの選手がパスを受け、マリオに変身し、リオに行けばよい。会場の盛り上がりは、安倍マリオでなくても、マリオが登場すれば変わることはない。


有名人はキャラクターだけで十分だった。もし日本のタレント、アーティストが出演していたら、それが例えAKBやジャニーズでなかったとしても、椎名林檎本人だったとしても、「ふさわしくない」などと何かしらケチをつけられたのと一緒で、安倍首相が出演すればもちろんケチがつけられるのは当たり前のことだ。