風評被害は起きて当たり前。市民をバカにしないでほしい | FOOCOM.NET
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4月に入り生活が忙しくなり、みんな食べるものをイチイチ気にしなくなってきたせいか、「風評被害」報道もテレビであまり見られなくなってきた。目立ってきたのは「安全宣言」報道と農業、漁業再開の報道だ。
上のブログでは、「風評被害」を助長する週刊誌報道と国の説明不足を断罪している。その中から気になるところをピックアップ。

 今まで「安全である」としか言われてこなかった原発が事故を起こした、という事実。そしてそれ以上に、後の対応の不手際、情報をきちんと明らかにせず、普通の市民に分かってもらおうという姿勢を見せず、決まりきった文言を繰り返す姿勢に、国民はいらだっているように思える。

その通りだ。

 「放射性物質の摂取、放射線への曝露はできるだけ少ない方が良い」といいつつ、暫定規制値を設定し、「暫定規制値を下回っていれば安全です」と言っているのだ。この二つは一見して完全に矛盾している。普通の市民が「あれっ、どうなっているの? どちらが本当なの?」と思って当たり前。

納得。私も「普通の市民」同様に思ってる。「放射性物質の摂取、放射線への曝露はできるだけ少ない方が良い」と言うなら避けるのは当たり前。

「分からないことが多いけれども、科学的に確実なことから類推して、なおかつ極力安全側に立った考え方で規制を敷いている」と市民に語りかけ、その限界も語るべきではないか。なのに、現状では多くの科学者も国も、矛盾する情報を垂れ流しながら、不確実性を隠して「安全です。風評被害を防ぎましょう」の一点張りとなっている。

国やメディアや科学者が「安全です」と言っても信頼できないのはその通り。
前の文は変だ。「分からないことが多い」のならば、リスクを避けて食べない努力をするだけ。被曝量が増えるほど病にかかる率が上がり、被曝量は積算されていくなら、ダイエットで低カロリー食品を選ぶように、できるだけベクレルの小さそうな食品を取る努力をするだけだろう。「今伝えられているような放射線の量では滅多な事じゃガンにはならな」くとも、「はっきり影響が出るような数字には全然足りな」くとも、ごくごく僅かな確率の「滅多なこと」になったときに後悔しないように。


それでも原発周辺の食品を食べさせるにはどうすればいいのか考えてみる
・野菜、魚介を一品一品ずつ検査、数字を店頭に表示する
たかじんの番組のように「放射能は逆に体にいい」とメディアで宣伝
どちらも無理だ。


放射能検査というとガイガーカウンターでピピピという絵が思い浮かぶ。でも野菜や魚介の検査ではまた別な方法がとられている、という。その辺が分かりにくい。食品ではないが、テレビで「どうしてもっと早く、広範囲に検査しないの」というコメンテーターの意見がよく見られる。理由は基本的に「機材と人手が足りないから」だ。食品の検査だって全ての食品を検査する体制なんてできないだろう。
原発周りの食品を食べることへの不安に、科学的裏付けはない。だから消費者の不信を打ち消すには、誠実さで対抗するしかない。最初のブログで、「情報を開示すること」が必要とあったが、どんな情報を消費者が求めるか、まで考えないと。どんな検査が行われているか、行われていたか、が重要。


・検査している仕事場を最初から最後までメディアに取材させる
ことが必要。原発の現場取材報道が増えるにつれ、東電叩きが収まり始めたように、食品検査の現場取材で「こんだけ一生懸命に責任感もって放射性物質の検査が行われているから大丈夫だよ」というメッセージが大事ではないか。
お上は信頼できないけど、現場は信頼できるとい国民性