メディアは「知恵を出さないやつは助けない」を暴言の代表例に使うな

松本前復興大臣の暴言問題。最初に映像を見たのは4日のやじうまプラスの7時のニュースでだった。村井宮城県知事が松本大臣を出迎えなかったことに対して「いいか」と詰問しながら「客を待たせて遅刻してくるな。礼儀がなってない」と説教するところは見ててとても嫌な気持ちになった。


で、松本前大臣の「オフレコ」要請のせいか、会談の趣旨に関係ないと思ってかは知らないが、当初マスコミの記事には、一部を除いてこの説教の場面は大きく掲載・放送されなかった。3日のNHKニュース7で見た岩手・宮城両県知事との会談のニュースで扱われた発言は、「(漁港を)3分の1〜5分の1集約すると言っているけど、県で(漁業者の)コンセンサス得ろよ。そうしないと我々何もしないぞ。だからちゃんとやれ。そういうのは。」「何でも相談には乗る。だからしっかり政府に対して、甘えるところは甘えて、こっちも突き放すところは突き放すから、そのぐらいの覚悟でやってください。」「知恵出したところは助けますけど、知恵出さないやつは助けない、そのくらいの気持ちを持って。」くらいじゃなかったか。


「暴言」と扱われる前の報道では、それぞれ発言の真意をフォローする文章がついていた。例えば毎日新聞だと「復興政策には被災自治体の主体的な取り組みが不可欠との認識を示した」「同県が復興計画案で掲げた漁港集約方針に水産業者が反発している問題に言及。〜まずは宮城県内の意見集約を要請した」など。NHKニュースでも「暴言」と扱わず、似た様な解説をしていた。民放の夕方のニュースでも同じ感じだったと思う。


その一方で、東北放送が報じた知事への叱責のシーンと、「いまのはオフレコ。書いたらその社はおわりですから」という「恫喝」は、明らかな暴言としてネットで広まっていた。翌日から「問題発言」「失言」「暴言」としてあらゆるメディアで扱われるわけだが、新聞の見出し文やテレビニュースの原稿では決まって、「『知恵を出さないやつは助けない』などと発言した問題」として紹介される。そこかよっ!?っていつも突っ込むのだが、その発言の真意は前日からさんざん自分で説明してたじゃん。「復興政策には被災自治体の主体的な取り組みが不可欠との認識を示した」んでしょ?今更釈明させてどうするの、という感じ。


漁港集約問題についての発言も最初は「県で(漁業者の)コンセンサス得ろよ。そうしないと我々何もしないぞ。だからちゃんとやれ」まで報道していたのが、暴言問題が大きくなるにつれ「ちゃんとやれ」の部分が切られてしまっていく過程を見てしまった。これも初期報道で解説してましたよね。「同県が復興計画案で掲げた漁港集約方針に水産業者が反発している問題に言及。〜まずは宮城県内の意見集約を要請した」みたいに。


発言に釈明が必要だったのは「今のはオフレコ、書いたらその社は終わり」と「俺九州の人間だから、東北が何市がどこの県とか分からんのよ」くらいだろう。後者は「被災地の場所は全部知ってる」と本人が釈明したというニュースをどっかで見たけど。後者の発言も初期から報道されてたと思うが、最初はお互い笑いながら話してたから趣味の悪いジョークとしか思わなかったが。
「今のはオフレコ、書いたらその社は終わり」に関して、これもこの人なりのジョークなんだと思ってるんだが、普通、本気のオフレコといったら発言の最初に提示するものでしょう?テレビカメラが会談の最初から最後まで回ってる中で、すべてが終わってから「今のはオフレコ」ってアホかと。書かないほうがいいけど別に書いても構わないよ、程度の拘束力しかないでしょう。この人くらい傲慢ちきだと、自身の保身のためではなく、叱責された宮城県知事を守るための「オフレコ」発言なんだろうけど。


その叱責シーンが一番醜悪だった。ブラック会社の社員研修のテレビ放送で祭りになったようなもので、叱りつけるシーン、叱られるシーンというのはセンセーショナルだ。しかもその原因が理不尽なんだから。国と自治体の協力という場面をぶち壊したものだった。
これに関して本人から釈明はないけど、内田樹さんのブログの解説に納得がいった。


暴言と知性についてhttp://blog.tatsuru.com/2011/07/05_1924.php

他人を怒鳴りつける人間は、相手の状況認識や対応能力を低下させることをめざしている。
人間が目の前の相手の社会的能力を低下させることによって獲得できるものは一つしかない。
それは「相対的な優位」である。
松本復興相がこの会見のときに、最優先的に行ったのは、「大臣と知事のどちらがボスか」ということを思い知らせることであった。
動物の世界における「マウンティング」である。
ある種の職業の人はこの技術に熟達している。
大臣のくちぶりの滑らかさから、彼が「こういう言い方」を日常的に繰り返し、かつそれを成功体験として記憶してきた人物であることが伺える。
それ自体はいいも悪いもない。
ひとつの政治技術である。
それが有効であり、かつ合理的である局面もあり、そうでない場合もある。
今回彼が辞職することになったのは、政府と自治体の相互的な信頼関係を構築するための場で、彼が「マウンティング」にその有限な資源を優先的に割いたという政治判断の誤りによる。
気になるのは、これが松本大臣の個人的な資質の問題にとどまらず、集団としてのパフォーマンスを向上させなければらない危機的局面で、「誰がボスか」を思い知らせるために、人々の社会的能力を減殺させることを優先させる人々が簇生しているという現実があることである。


こういう「偉ぶるジジイ」とは上手く付き合って利用しろ、という中国人実業家の考え。こっちはこっちで納得できる。

私的メモ:松本元復興大臣の言動について宋文州さんの考え
http://togetter.com/li/157991


一番最初に戻って、一連の問題を表すなら「松本復興大臣が出迎えがなかったことを叱責した問題などについて」と書くべきで、「『知恵を出さないやつは助けない』などと発言した問題」とするな。
前も似た様なの書いてた。


「黒い雨」メールをデマの代表例に使うな - rabbitbeatの日記
http://d.hatena.ne.jp/rabbitbeat/20110427/1303863217