アニメ「宇宙兄弟」を見て一人の大人が暗い気持ちになる

今日の朝、「宇宙兄弟」というテレビアニメ第一話が始まった。「このマンガがすごい!」とかで、とても評価が高い漫画のアニメ化。原作は未読だが、前から気になってた。
話は、会社をリストラされた30過ぎ(?)の主人公が、次の仕事がなかなか決まらずにグジグジしてたところへ、少年時代の「火星に行く」という夢を思い出し、宇宙飛行士を目指すという物語。夢に向かって人生を再スタートさせるとても良い話だ。


いい話なのだが、いい話すぎて辛い。
主人公はリストラされる前は、大手自動車メーカーの設計主任で様々な優れた自動車の設計に携わったという設定。一話の終わりで、母親がJAXAに主人公の履歴書を送り、あっさりと一次選抜の書類審査を通過した。これが単に元自動車メーカーの営業とか、元自動車工場勤務とかだったら、書類であっさり切られてしまう。
順調に再スタートを切れるのは、もともと優秀だったのと、今までのキャリアで培った人生の貯めが大きかったから。


同じようなことを池井戸潤の「下町ロケット」を読んだときにも考えたことを思い出した。直木賞を受賞して世間の評価はとても高い小説で、下町の小さな町工場が紆余曲折して大手メーカーのロケット作りに携わる、という話。これも小説自体はとても面白かったのだが、一部設定でとても暗い気持ちになる。
最初にあらすじを聞いたときは、下町の中卒叩き上げの親父たちが何の知識もないところからロケット作りを目指すという話なのかと思ったら、主人公の町工場の社長は、元JAXAの設計技師でH2ロケットの打ち上げ失敗の責任をとって退職し、親の町工場を引き継いだという設定。
もともとロケット作りのエリートだったところに酷く落胆。さらに両親から引き継いだ「下町の町工場」というのが従業員1000人のそれなりに大きな会社だったことに、更に落ち込む。家族経営で職人かたぎの従業員一人か二人抱えるだけの極小町工場かと思ってた。
ロケット作りに参加できたのは、主人公がもともと優秀だったのと、親から受け継いだものが大きかったから。


主人公がエリートすぎて素直にまるごと楽しむことができない。宇宙開発に専門知識が必要なのは分かるが、そういうのは別のキャラの役割にさせて、主人公は一般市民的存在にさせたらどうか、とか思った。その点、川端裕人の「夏のロケット」は良かった。


少年ジャンプの漫画が「努力友情勝利」から「才能友情勝利」になってる、とか言われて久しいが、「才能」ある主人公じゃなきゃ物語を展開させることはできないのか。うーん。


宇宙兄弟」や「下町ロケット」は主人公と同年代の人に「夢を与える」作品じゃないな。もっと若い小中学生に読ませて、「いい大学に入っていっぱい勉強して、いい会社に入ってたくさん経験を積まないと、夢を追うことができない大人になるよ」と進路指導の教材にしよう。