感想ブログの矛盾

以前、「アンチの居場所」という記事を書いた。


ある大河ドラマ感想ブログは、昨年まで『龍馬伝』『江』をディスる記事を書いていた。それが『平清盛』を褒めて持ち上げる記事を書くようになったら叩かれるようになった。そのことについて、集まっていたアンチが居場所を失ったからではないか、という内容の記事だ。


今、私は同じ事に直面している。といっても叩かれるほうではなく、とある感想ブログを叩きたい衝動にかられている。こういう気持ちになって、初めて?以前書いたブログ記事が間違っていたのだと気付いた。


何故、例の大河ドラマ感想ブログが叩かれたのか、叩いていた主体は誰だったのか。


自分の場合は朝ドラだ。大河ドラマと同じく、専門で継続している朝ドラ感想ブログがゴマンとある。(ゴマンとあるはずなのに何故か感想の内容は右へ倣え的に傾向が統一されている感じがする。)
でまあ、こういう感想ブログが今やっている「あまちゃん」を面白いと褒めている。それは別に構わない。自分はつまらないと思うのだけど、人によって感想が変わるのは当たり前だ。しかしそういうブログに限って、前作、前前作の「梅ちゃん先生」と「純と愛」について壮絶なアンチになってディスっているのだ。「主人公がうまくいきすぎ」「朝ドラっぽくない」「脚本に矛盾がある」などなど目についたあらゆることを指摘してドラマを否定する。


そんなブログが「あまちゃん」について肯定しているわけだ。「梅ちゃん」や「純と愛」でディスっていたこと、「あまちゃん」にも当てはまるのたくさんあるのに、そういうのは完全無視して「面白い」と褒めている。ブログを読んでる方は「あれれ〜?」となる。特に自分なんかは「梅ちゃん」が好きだったから、おいあの時ディスってたくせに何こっちは褒めてるんだよ、と叩きたくなるのだ。「梅ちゃん」放送時に「梅ちゃん」ディス記事を読むことは何の苦にもならなかった。ああ、こんな細かいことにいきり立つ人もいるのねwくらいの面白毒吐きブログ芸人という位置づけで読んでいたから。しかし、突然毒吐きが止まり、特定の朝ドラ持ち上げ記事が始まった。こうなると、過去に「梅ちゃん」を叩いていたことについて、その作品のファンとして急に怒りがこみ上げてくる。おいおい、言ってることが一貫してないじゃねえか!って。あの時「梅ちゃん」を叩いていた内容について、不当なものとして映る。


とまあ、これが例の大河ドラマ感想ブログのコメント欄でも起こったのではないかと。叩いていたのは「平清盛」のアンチというよりも、「龍馬伝」や「江」のファンのほうだったのだ。


いや、作品の好き嫌いなんて、いろいろな要素に加え個人の感性にも左右されるもんだけど、継続しているブログの場合、「何故あれはディスっていたのに、これは称賛するのか」を政治家なみに丁寧に説明する必要があるとかないとか。