弱者男性世界から童貞文化を盗用するウェイ系?

はあちゅうという女性WEBタレントが電通に勤めていた時代に男性上司から受けたパワハラ兼セクハラをニュースメディアBuzzFeedで告発した。アメリカでブームとなっている#MeToo運動の一つとして注目を集めた。告発された男性は部分的に認め、謝罪とともに現在の仕事を追われることとなった。BuzzFeedの記事を読んでみて、単なるセクハラ被害の告白というよりも、組織内の共犯者による内部告発のような印象を受けた。
 
ここまではアメリカで起きたパターンと全く同じだが、今度ははあちゅう氏の過去のWEB上での発言が問題になった。彼女が「童貞」を語る様が、男性へのセクハラに当たる、という指摘が出たのである。その指摘に彼女は最初こそうろたえ反論していたが、最終的には過去の童貞発言について謝罪文を出すこととなった。まるで会社のOLに「その発言セクハラですよ」と指摘された中年管理職が「いや私は親しみ込めたかっただけで…」と言い訳するも「いいえセクハラです」と説教されて諦めて「すまんかった」と仕方なく謝罪しているみたいだった。
 
彼女の謝罪文からは、文化社会の生活圏における分断が改めて気付かされた。
彼女は、自分の周りでは「童貞はかっこいい」などと好意的に用いていたため、「童貞」というワードが弱者男性を傷つけるかもしれないことに気づかなかった、と釈明した。
彼女がいる場所はウェイ系と言われるソーシャルカースト上位の世界。性的に強者な者が多く住まうが競争も激しい。結果、やれ「女紹介しろ」やれ「この男に近づけば上位キープできる」やれ「仕事ほしいなら分かってるな…」だののセクハラ・パワハラが起きる。そこでは童貞は貴重なものとして有難がられている。だからこそ「童貞はかっこいい」などともてはやされる。
 
それとは別に性的に弱者が集う世界もある。強者になりたいけど能力が伴わない。パートナーがいないことにコンプレックスを抱いている。そうした思いをこじらせて「弱者」側の立場から「強者」の世界の異性に対して「非処女」などと異性を攻撃したりしている。「童貞」という言葉も多用されるが、それは自嘲であり、別の世界の他人から言われると傷ついてしまう。
 
とここまで考えた時に、今回の氏の「童貞」発言に対する他者の不快感の一因として、セクシャルハラスメントの他に、「文化の盗用」の構図があるのではないかと思った。性的弱者の象徴的な「童貞」というワードが、影響力のあるソーシャルカースト上位世界で「クール」とか「かっこいい」とか持ち上げられてしまう。処女を持ち上げる男性世界の論理で、逆に童貞ブームを作り上げようとしたのだろうが、世界は「男女」とともに「強弱」でも分かれていたことに気づかなかった。ソーシャルカースト上位の世界では許されていた「童貞いじり」が、他の世界の人からは顰蹙を買った。

もう一つ、「童貞いじり」批判との類似問題として、コンビニのエロ本販売問題を挙げる。これはエロ本の卑猥な表紙がコンビニの、特に女性客に不評で、一種のハラスメント状態になっていたことから多くの批判が寄せられ、一部のコンビニチェーンでは書棚からエロ本が消えることとなった。この時、エロ本購買層の男性陣は、表現の自由、出版販売の自由で戦おうとしたが、これもそもそもの問題点とズレている。はあちゅう氏が当初「童貞いじり」批判にピンと来ていなかったのも、エロ本販売自主規制にズレた反応を示した者たちと同じ感覚だったのだろう。
 
特定の層に向けた発言だが、特定の者に向けた発言ではないからセクシャルハラスメントになるわけがない。ネットには何でも思ったことを表現できる自由がある。こういう感覚である。だがこの感覚はもはや人類共通の感覚ではなくなっている。かつてのインターネットの自由主義はもはや古臭さしかない。それを分かっていないのはWEBタレントとしてセンスがないのではないか。
 
結局どうやってネットで自分の思いを好きに表現すればいいのか、となるとエロ本自主規制と同じくゾーニングしかなくなる。WEB読者を絞った、検索ロボットの届かない閉鎖空間で。自分の感覚と異なる世界の住民が不用意に入ってこない場所で。そうして初めて「嫌なら見なければいい」が成り立つ。
 
ただしこれもあくまで自主規制なので、ハラスメント上等、炎上上等というならば、いくらでもオープンに「童貞いじり」をし続けることもできる。しかしこれは#MeTooの精神とは重ならないのではないか。